大判例

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大阪高等裁判所 昭和49年(行コ)52号 判決

控訴人

平野研吾

右訴訟代理人

豊川正明

外二名

被控訴人

住吉税務署長

坂元亮

被控訴人

大阪国税局長

徳田博美

右両名指定代理人

岡崎真喜次

外八名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人住吉税務署長が控訴人に対し昭和四〇年一〇月七日付でした控訴人の昭和三九年分所得税の更正処分および過少申告加算税賦課処分を取消す。被控訴人大阪国税局長が控訴人に対し昭和四一年九月二八日付でした右更正処分についての審査請求を棄却した裁決を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら指定代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は左のとおり附加するほかは原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

(控訴人の主張)

一、被控訴人住吉税務署長の他事考慮等による違法な所得調査について

本件更正処分と過少申告加算税賦課処分が専ら商工会の弾圧を目的とした違法なものであることは原審で主張したとおりである。当時の控訴人ら商工会員に対する無差別的集中的更正の実態をみれば、単に個々的な調査の結果更正に及んだというのでなく、商工会員であるから調査をなし更正をしたものであることが明らかである。このことは、次のような統計的数字すなわち、住吉商工会の会員が被控訴人住吉税務署長によつて更正を受けた件数が(1)昭和三九年度二三件(2)同四〇年度四五件(3)同四一年度一六一件と累増していることや、その更正の根拠が法廷に絶対に現れない「一般所得率」による計算が中心をなしていることによつても裏付けられる。

以上のような点を本件に即して列挙するに、(1)まず、控訴人に対する調査は抜き打ち的であつた。(2)元来控訴人は猪坂鉄工所から独立して一年目の小規模営業者であり、このような少額所得者を調査することは従来の税務署の実際からすれば異常である。(3)国税庁長官は当時「商工会は三年の間につぶす。」と発言している。(4)げんに、商工会の会員についてはあらゆる角度からの反面調査がなされるために、脱退をする会員が増加した。(5)控訴人に対する調査も極めて対決的なもので、話し合いの雰囲気のないものであつた。当日は税務署係官が控訴人の名「研吾」を「研吉」と誤つたことから実質調査にいたらなかつたのであるが、そのさいもし感情的になつたものがあるとすれば、それは双方ともというべきで、控訴人だけが感情的になつて調査に応じなかつたわけではない。翌日の電話による調査にさいしても係員は受話器に出た控訴人本人をさしおいて「社長(猪坂)を呼んでくれ。」といい、これを詰問した控訴人に対し感情的になり「もう結構だ。」といつて電話を打ち切つている。

二、被控訴人大阪国税局長の書類等閲覧拒否が違法であることについて(行政不服審査法三三条二項後段に関して)

1  当時控訴人ら商工会員で更正決定を受けたものは途中退会した者を除くとほとんどの者が被控訴人署長に異議を申立て、さらに被控訴人局長に審査請求をなし、そのさい全員書類閲覧の請求をしたのであるが、被控訴人局長はこれを一律に拒否し、何ら個別的に前記法条所定の「第三者の利益」とか「職務執行上の機密」とかを検討したわけではなかつた。それは、商工会員に対しては手持ち書類一切を見せない、との大方針に基くものである。

本件についても閲覧拒否の正当理由は全く見出せない。そもそも「拒否の正当な理由としての第三者の個人的秘密あるいは行政上の秘密が存在するといえるためには単に審査庁がその裁量によつて右の要件が具備していると認定するだけでは不十分であつて、かかる事項が審査請求人等あるいはその外の一般人に知られないことについて客観的にみて相当な利益が存在する場合でなければならない。けだし、審査庁の裁量によつてその要件の存否を認定できるとすれば、審査庁は処分庁の上級行政庁であつて第三者機関ではないのであるから、審査請求人等の閲覧請求権を不当に制限する虞れがあるからである。」(大阪地裁昭和四五年一〇月二七日判決)

本件についても、猪坂深見が自己の提供した資料を開示することに難色を示したというだけでは閲覧拒否の正当理由とすることはできない。控訴人は永年猪坂鉄工所の職人として働いていたのであるから、猪坂が多少とも控訴人に不利な資料を税務署に提供しておれば、それを控訴人本人に知らせたくないのは人情かも知れない。しかし、そのようなことが正当な理由とは言い難い。猪坂はウツエバルブ株式会社のバルブ加工を請負つていたが、その実質は控訴人がこれを請負つていたに等しく、今では、猪坂は同社の信用を失い取引は中止され、控訴人の直接請負つている状況である。したがつて、猪坂やその妻は控訴人をそねんでいる節もあり、控訴人としてはどうしても同人の提供資料を閲覧する必要があつたのである。

2  以上の点に関する被控訴人局長の後記主張はすべて争う。所論は、本件における閲覧拒否書類は国家公務員法、所得税法あるいは刑法上秘密を保持すべきものとされているものであるから、行政不服審査法三三条二項の関係でも当然その閲覧を拒否できるというのであるが、その論旨は正当でない。

(イ)(個人の秘密について)まず、税務職員が負う守秘義務は納税者側の秘密に接する機会が極めて多いところから、特に納税者の個人的秘密を守る義務を定めたものにほかならない。しかし、反面、税務職員は公権力を行使するのであるから、その根拠となつた資料はつとめてこれを公開すべきであり、このことは民主的税務行政を行うための必須要件でもある。したがつて、税法上守秘されるべき事項は純粋に個人的なプライバシー(たとえば、家庭に不治の病の者がいる等)に局限されるべきである。本件で閲覧を拒否された書類の記載内容は控訴人と猪坂鉄工所との間で授受された金額であつて、猪坂あるいは控訴人の純粋なプライバシーではない。

(ロ)(公務員法上の秘密について)また、公務員法上の秘密についても、行政官庁がその裁量をもつて指定したものが当然に秘密事項となるものではなく、それは、国民全体の利益のために秘密を守ることが特に要請される実質を有するものに限られるのである。本件についても、納税者の納得のいく公正な税務行政を執行する立場からすれば、むしろ猪坂に関する文書の如きは納税者である控訴人に閲覧させるのが望しいのである。

(被控訴人らの主張)

被控訴人大阪国税局長がした本件書類閲覧拒否は当時施行の行政不服審査法三三条二項後段に基く適法なものである。すなわち、

同法条によれば、審査庁は「正当な理由」があれば閲覧を拒むことができるのであるが、これは公務員のいわゆる守秘義務を根底においたものである。とくに税務職員については、各関係法規上個人的秘密の保護義務をさらに強化している点に想到すべきである(国家公務員法一〇〇条一項、一〇九条一二号、旧所得税法七一条)。一般に、個人の秘密は客観的秘密、主観的秘密の如何を問わず絶対的に保護されているのであつて、訴訟においてすら証言拒否が認められている(このような秘密を守る義務に関する他の法規として刑法一三四条、医療法七三条、薬事法八六条二項、弁護士法二三条、民訴法二八一条一項二号、三号、銀行法一二条の三、刑訴法一〇五条、一四九条等参照)。ところが、行政不服審査法三三条二項前段が審査請求人に書類閲覧請求権を保障した理由は、行政不服審査の適正な遂行をなす利益の保護にあるわけであるが、これらの利益は行政不服審査手続上のものにすぎない。したがつて、問題が個人の秘密に抵触するかぎり同法条後段の「第三者の利益を害するおそれ」の存否について判断するまでもなく当然に閲覧拒否の正当理由があると考えられる。もしそうでないのであれば、審査庁は常に刑事罰の危険を負いながら、閲覧の許否を判断しなければならなくなる。

ところで、本件書類は猪坂鉄工所に対する反面調査の結果を記載したものであり、猪坂も「控訴人に言つてもらうと困る。」との条件で調査に応じたものである。猪坂深見は本訴で証人として出頭することも拒否している。しかも、調査内容は被調査者猪坂の控訴人に対する支払金額であるほか、猪坂の受注先であるウツエバルブ株式会社の収支にもかかわる。

このように被調査者猪坂が調査内容の秘匿を条件に調査に応じた点およびその調査対象からして、本件書類の記載内容が猪坂の主観的、客観的秘密に該当することは明白で、控訴人の閲覧請求を拒否する正当の理由があることについては議論の余地のないところである。

(証拠関係)〈略〉

理由

当裁判所は、控訴人の被控訴人らに対する本訴請求はいずれも失当であると認めるものであつて、その理由とするところは左のとおり附加するほかは原判決の理由説示と同一であるからこれをここに引用する。

1当審で提出された甲第一四ないし第一六号証および当審における証人梶山三器夫の証言、控訴人尋問の結果によつても本訴における控訴人の主張を肯認することは困難であり、右各証拠によつて原審のした事実認定および判断を左右することはできない。

2控訴人は被控訴人住吉税務署長の更正手続に関し他事考慮等の違法がある旨当審においてさらに主張するところがあるが、同被控訴人所属担当官のしたいわゆる所得調査の実情は要するところ原審認定の範囲に尽きるものであり、右所得調査の過程には本件更正処分および過少申告加算税賦課処分を取消すに値いするほどの違法があつたとは解し難い。

当時住吉税務署が管轄納税者に対してした所得調査、更正の経過について、正当な申告であるにもかかわらず、申告者の民主商工会の会員であることだけを理由としてことさら無差別集中的に調査更正権限を濫用行使したと認められるような確証はない。これを控訴人についてみても、その所得調査をした結果過少申告であることが認められた以上、更正を行なうことは被控訴人住吉税務署長にとつてはむしろ当然の職責であること原審説示のとおりである。

また、本件において、控訴人に対する所得調査にさいし特段事前通知がなされた形跡は認められないところ、一般に収税官吏等の行う税務調査(納税義務者に対する質問検査権の行使)にさいしては、納税義務者の理解と協力をうるため事前通知をすることが望しいことは控訴人所論のとおりである(控訴人提出の甲第一四ないし第一六号証の記載参照)。しかし、このような事前通知が所得調査(質問検査権行使)の法定の前提要件となるものでないこともまた関係法規に照らし明白である(所得税法二三四条、法人税法一五三条ないし一五五条参照)。調査の方法が質問検査の必要性と相手方の私的利益との比較衡量において社会通念上相当と認められるかぎり、事前通知が欠除していることの一事によつて直ちに課税手続上違法が存するということはできない(最決昭和四八年七月一〇日刑集二七巻七号一二〇五頁参照)。

3また、被控訴人大阪国税局長の審査手続時における書類等閲覧拒否の違法性に関する控訴人の主張についても、当裁判所引用にかかる原審の認定事実によれば、本件における閲覧拒否文書とは原処分庁である被控訴人住吉税務署長が本件更正処分等の根拠資料とした控訴人にかかる所得調査書であつて、その内容は主として控訴人が昭和三二年以降雇われていた勤務先であり、かつ、昭和三九年一月控訴人独立後もその専属下請をした注文主である株式会社猪坂鉄工所(バルブ加工を業とする会社)の代表者猪坂深見に対するいわゆる反面調査の結果を記載したもので、同人はこれを控訴人に示すことに強い難色を示していたことが認められるのであり、現に猪坂深見は本件訴訟においても原審裁判所の二回にわたる証人としての喚問にさえ応じなかつたことが記録上明らかであるほか、前掲控訴人本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、右猪坂鉄工所は当時訴外ウツエバルブ株式会社から発注を受けた仕事をそのまま控訴人に下請させていたものであり、もし前記反面調査の結果が控訴人に明らかになれば、ひいては猪坂鉄工所としてはいわば手のうちともいうべき中間収益の額そのものが明らかにされる結果となる可能性もあることが認められ、これらの事情によれば控訴人にかかる本件所得調査書の内容は他面において猪坂鉄工所または猪坂深見の利益を害するおそれのある個人的秘密事項にかかわるものであり、同人においてその開示に難色を示したことについては具体的客観的に相当の理由が存したというべきである。したがつて、本件所得調査書の閲覧を拒否した被控訴人大阪国税局長の措置はやむをえぬものであり、行政不服審査法三三条二項後段に基くものとして適法である。以上の点に関する控訴人の当審における主張は狭きに失し首肯することができない。

よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(朝田孝 戸根住夫 畑郁夫)

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